徳寿宮の治朝、正殿の中和殿(チュンフアジョン)と朝廷

徳寿宮の中和殿(宝物819号)は、正殿で王の即位礼、朝礼、外国の使臣接見など主要な国家的儀式を行う場所として、高宗が大韓帝国を宣言して以来、宮殿の正殿として1902年に完成したが、火災で焼失したものを1906年に再建した。初めて中和殿を建てた時は景福宮の勤政殿(グンジョンジョン)と同じように2階建てだったが、火災で焼失したものを再建する過程で規模が縮小されて一階建てに建てられた。旧韓末の朝鮮の経済力を示しているように、他の宮殿の建物に比べて壮大な味が劣っている感じを与える。建物は正面5間、側面4間の入母屋造りの屋根で、一階建てに建てられたせいか、他の宮殿の正殿に比べてやや矮小な感じを与える。皇帝国を宣言した後に建てられたもので、全体的に黄金色を帯びており、隅棟の雑像も宮殿の建物の中で最も多い13個を置いている。

朝鮮時代の宮殿で正殿の領域は、国家的な大きな行事を行う象徴的な空間として、回廊で囲まれている。これを「朝廷」だという。徳寿宮は大韓帝国を宣言してから大幅に再建したが、火災で焼失した後で再建しながら、その規模が縮小されたと思われる。また、日本占領期を過ごす過程で多くの殿閣がなくなったので、正殿の領域を囲んでいた行閣は崩れて一部のみ残っている。

徳寿宮の元の名前は慶運宮(キョンウングン)で、ここは世祖の一番目の孫である月山大君(ウオルサンデグン)の私邸として、文禄の役の際に宣祖がソウルに戻ってきた後、仮住まいとして泊った行宮であった所を、光海君代にその規模を拡大して慶運宮とした。実際に徳寿宮は、旧韓末までは、その規模が大きくない別宮として維持されてきたが、1897年にロシア公使館に避難していた高宗が、慶運宮に居所を移しながら、大韓帝国を宣言し、正式宮殿に変わった。

中和殿(チュンフアジョン)一帯
1902年に一時的な正殿として使っていた即阼堂(ズッジョダン)の南側に行閣を建て、中和殿を建築して宮殿の中心領域にした。中和殿は、元は重層の建物だったが、大火災でこの一帯がすべて燃えてしまった後、1906年に単層に規模を減らして再建した。中和門と行閣も一緒に建て直されたが、現在は行閣の東南側の角の一部だけが残っている。中和殿とその前庭である朝廷は、国家儀礼を行うための象徴的な空間である。2段に月臺を設けて床に薄石を敷き、品階石と三道を設置するなど、伝統的な宮殿格式に従った。 <出所:文化財庁>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 徳寿宮の治朝の領域である中和殿一帯である。高宗が大韓帝国を宣言した後、1902年に中和殿を建築して宮殿の正殿にした。大火災の後、1906年に再建する過程で、その規模が縮小されて行閣のほとんどがなくなって矮小な感じを与える。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 徳寿宮の中和殿(宝物819号)は、皇帝国を宣言した大韓帝国の正殿である。前面5間の入母屋造りの屋根をしており、全体的に赤くて金色を帯びている。元々は2階建てだったが、火災で焼失したものを再建する過程で1階建てに変わった。20世紀初に建てられたもので、朝鮮の建築技術で建てられた最後の宮殿の建物だということができる。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 中和殿(チュンフアジョン)の月臺を上る踏道や階段。月臺を上る階段の中央には、国王の御輿が通る踏道に板石(ソメッドル)と石獣が設けられている。下月臺は5階段、上月臺は3階段になっている。国王の権威を感じるには、景福宮に比べて不足な感じがする。乙巳勒約 の後、国権を喪失した大韓帝国と高宗の位相を見ているようである。皇帝国を宣言したにもかかわらず、月臺は紫禁城の太和殿とは違って、2階建てで構成されている。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 下月臺の板石(ソメッドル)には鳳凰が刻まれている他の宮殿とは違って、二匹の龍を刻んで、皇帝国としての位相を示しようとしている。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 一方、上月臺には、従来と同様に二匹の鳳凰が刻まれている。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 月臺階段の一対の石獣。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 中和殿(チュンフアジョン)の月臺。中国の紫禁城とは違って、装飾性の強い儀器を置いていない。また、景福宮の勤政殿にある四神像や十二支神像もない。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 中和殿(チュンフアジョン)の下月臺に置いているドゥムと上月臺の中和殿の隅に立てておいた青銅の香炉。ドゥムは消火用の水を入れる容器として、火魔が水に映った自分の姿に驚いて逃げさせるという、火災予防のための象徴的な意味が大きい。青銅香炉は正殿の儀式が行われるときに、左右で香をたいていたという。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 中和殿(チュンフアジョン)の柱と組子。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 中和殿(チュンフアジョン)の扁額。

SANYO DIGITAL CAMERA 中和殿(チュンフアジョン)の隅棟の雑像。慶会楼の次に多い10個の雑像が置かれている。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 徳寿宮の中和殿の内部。中央に天蓋形態で作られた御座が置かれており、内部は空いているといえる。御座の後には王を象徴する日月五峯図の屏風がある。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 中和殿の天井には鳳凰の飾りをしている他の宮殿とは違って、竜模様の装飾をしている。皇帝国の位相を表現している装飾である。

SANYO DIGITAL CAMERA 中和殿の月臺から見下ろした朝廷の庭と中和門。角に残っている行閣。

SANYO DIGITAL CAMERA 朝廷と呼ばれる宮殿の正殿の前庭。今ではほとんど残っていないが、回廊形式の行閣で囲まれている。中央に三道があり、その両側に文ㆍ武班の臣下たちが品階に応じて堵列する。実際は普段に使用する空間ではなく、国家的な公式行事を行なう象徴的な空間だといえよう。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 朝廷の中央の三道。国王が通り過ぎる御道と、その両側に臣下たちが通り過ぎる道で構成されている。朝鮮時代の公式行事を進行する時、雨に滑らないようにするための意味と、歩く時身だしなみを正しくするように意図的にデコボコした薄石を敷いた。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 品階石は、正殿の前に立てられた標識石で公式行事の際、職位によって堵列できるように表示する役割を果たしている。東には、文官、西には武官が堵列し、正1品から従3品まで6個、4品から9品までは正·従区別なく6個ずつ立てられている。実際に高位職だけが朝廷に堵列しており、4品以下の下位職は、中和門の前の外朝に堵列する。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 徳寿宮の正殿である中和殿の領域も、他の宮殿の正殿と同じように行閣で囲まれた回廊の形式をしている。日本占領期以来、ほとんどの行閣は毀損され、角の一部のみ残っている。徳寿宮の中和殿は大韓帝国皇室の正殿として建てられたが、行閣をはじめ宮殿の構成要素がたくさん残っていた。四方が開放された印象を与えてはいるが、宮殿の正殿のような感じが足りない。

SANYO DIGITAL CAMERA 朝廷の庭で見た中和門。説明したように均衡美のある姿を見せているが、周りに回廊がないのでぎこちなく見える。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 徳寿宮の西側の石造殿(ソクジョジョン)から見た中和殿。行閣がないので、開放された印象を与えている。周りの高層ビル、庭などと似合って風変りな感じを与える。

SANYO DIGITAL CAMERA 中和殿の裏庭。

SANYO DIGITAL CAMERA 徳寿宮の西側の石造殿から見た中和門と行閣。

SANYO DIGITAL CAMERA 2009年夏の徳寿宮の中和殿。

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